佐藤愛子『九十歳。何がめでたい』 レビュー
☆☆☆☆ 5点満点中
著者の佐藤愛子さんは90歳。
顔なじみのほとんどがあの世へ行ってしまい、生き残った人たちもやれ脚が折れたやら、癌になったやら認知症になった、というひどい有り様。
日がな一日、会う人もなく、何もすることがなくなった著者は、老人性ウツ病になりかけて、怒りっぽい性格になっていた。
スマートフォンの使い方がわからず腹を立て、三越の最新式トイレの流し方がわからず汗をかく。
地下鉄のホームで見かけた、漫画を読むホームレスの話にほろりと泣けた。
新聞をよく読み、とりわけなかでも人生相談コーナーを愛読している著者。
私ならこう答えるとばかりに、実際の回答者よりもうまい回答を披露していたのが可笑しかった。
好奇心旺盛な著者は、旬の話題にも敏感に反応する。
寝屋川市中学生殺人事件、高嶋ちさ子さんゲーム機バキバキ事件など。
過激過ぎて私には受け入れられない意見もあるにはあった。
しかし、90歳の作家の意見と自分の意見が違うのは当たり前のこと。
納得したり反発したり、考えさせられることしばしば。
読後感は佐野洋子さんのエッセイを読んだときと似ていた。
たのしく笑えて、すこしホロリとしてしまうところは同じだ。
人生八方ふさがり気味に思える人が読むと、少しは気が楽になるかもしれない。
文章に気取ったところがなく、読むと気持ちがふっと軽くなる。
自分のことを、気の短い、ババア、なんて言うところなんて、佐藤愛子さんと佐野洋子さんはそっくりだ。
温かさと切なさの混じった素敵な本だった。
『ダンケルク』(2017米) レビュー
☆☆☆☆ 5点満点中
「絶対絶命の地”ダンケルク”の40万人.残り時間わずか.生き抜け.若者たち.」
浜辺で味方の船を待っている兵士たちの頭上から、無慈悲に敵の戦闘機に攻撃されるシーンが恐ろしくも美しかった。
いったん敵機が去っても油断できない。
気がつくとスクリーンの兵士たちと一緒になって、遠くの空からプロペラの音が聞こえやしないかと、私もドキドキしながら耳をすませていた。
粗探しをしたくても欠点が見当たらない。
反対に、とくにこれといった山場もなく、たんたんとしているともいえるから、もうひとつ物足りなさを感じてしまうかも知れない。
市街地では敵の銃撃から走って逃げる。
浜辺では空から爆撃を受け、神に祈り、身を伏せる。
海上では乗っていた船が魚雷攻撃に遭い、命からがら脱出を図る。
単純明快なストーリーなのに引き込まれるのは、映像がやけに洗練されていてオシャレだから。
耳をつんざくような爆発音のあとに、不気味な静けさが訪れる。
嵐の前の静けさで、次は何が起こるか不安でならない。
セリフは少ないながらも機知に富んでいて、短い言葉のやり取りから登場人物それぞれの人となりが、しっかり浮かび上がるように出来ている。
なぜ民間船の船長が、自らの身を危険に曝してまでダンケルク港に向かったのか。
この人物については、なるほど、そういう理由があったのか、と後に種明かしされることになっている。
小川洋子『薬指の標本』 レビュー
☆☆☆ 5点満点中
「わたしの残像の中でその肉片は、桜貝に似た形をしていて、よく熟した果肉のように柔らかい。そして冷たいサイダーの中をスローモーションで落ちてゆき、泡と一緒にいつまでも底で揺らめいている」
和文タイプ、レモネード、文鳥のおじいさん、フレアースカート。
小川洋子の手にかかると、ありふれた言葉たちが、はっとするほどみずみずしい果実に生まれ変わる。まるで魔法のように。
女はサイダーをつくる機械に、薬指を挟まれて失ってしまう。それは一瞬のことだった。肉片はサイダーの中に転がり込んだ。
女の薬指が、しゅわしゅわ弾ける冷たいサイダーのなかを、いつまでもたゆたっている。
その映像が、物語を読むあいだずっと通奏低音ように響いて、頭から離れなかった。
時が経ち、女はたまたま求人募集の貼り紙を見つけた標本室に勤めはじめ、弟子丸氏のもとで働くことになる。
顔の火傷の跡や文鳥の骨を標本にしてほしいと頼む、切実な依頼者との奇妙なやり取りが、けっして暗くも不気味にも思えなかったのは、サイダーのなかで揺らめく薬指の面影がちらついていたから。
少しずつ、足に革靴が食い込むように、女は弟子丸氏の危うい深みへとはまっていく。
初めて彼と出会ったときから、女は、ずっとそうなることを望んでいたみたいに。
『風立ちぬ』(2013年) レビュー
☆☆☆ 5点満点中
「生きねば。」
この映画を撮ったのが宮崎駿監督でなければ、きっともっと高く評価されたはず。
それくらいよく出来た映画だった。
宮崎駿ブランドで観客の期待値がぐっと上がってしまうのは仕方がないにしろ、『風立ちぬ』が世間ではあまり評価されてないようなのが残念だ。
しいてわたしの気に入らなかったところを挙げるなら、男女のやや古臭い愛の表現が見ていて気恥ずくなったことくらい。
大正から戦前にかけての混乱期を堀越二郎の人生にシンクロさせながら、一気に駆け抜けて面白いのは、やはり監督の手腕の高さゆえだろう。
日本禁煙学会からクレームがつくのも納得の喫煙シーンの数々。
けれど、当時の働く男たちを描いて、だれも一本もタバコを吸わなかったらその方が不自然だろう。
タバコが大人の男のシンボルだった時代があった、と大らかに受け止めたい。
里見菜穂子が入る冬の高原病院の寂しいことといったらなかった。
若い娘ばかり、高原病院のテラスに並んだベッドで寝かされていた。
麓で娘の無事を祈る親御さんたちは、どんなにか胸が張り裂けそうな気持ちでいただろう。
愛する男を思いながら、自分ひとり死の病に冒されていく女の悲しさに泣けた。
宮崎駿監督は風の描き方が独特でうまい。
菜穂子が野外で写生をしていると、下草を震わせながらいきなり風がびゅうっと迫ってくる場面にゾクゾクした。
『千と千尋の神隠し』にしろ『とならのトトロ』にしろ、ジブリ映画は背景画が写実的で色鮮やかで、とくに植物とか建物とか、いつまでも眺めていたくなるほど美しかった。
しかしいつからか画風が変わってしまった。
『風立ちぬ』の背景画には少し物足りさを感じた。
Netflix対ディズニー!?
動画配信サービスは、いよいよNetflix対ディズニーの戦いになってきた感がある。
利用者としては競争が起きてくれて、利便性が向上するのはうれしい。
一部報道によると、ディズニーの動画配信サービスは、Netflixの月額料金よりも大幅に安くなるらしい。
あとはお互いにどれだけコンテンツを充実させられるか。
今後、映画館で映画を見る機会もずっと減るだろう。
映画館で新作が封切られるのと、動画配信がスタートする時期はどんどん接近していくはず。
10年後、都心の映画館がどれだけ残っているのか、考えてみると結構ドキドキする。
TOHOシネマズはつい先日、上野に新館をオープンし、来春に日比谷で、数年後には池袋にも新たに映画館をオープンするというから驚きだ。
うまくやっていけるんだろうか。
『はじまりのうた』(2013年米) レビュー
☆☆☆☆☆ 5点満点中
「シングストリート〜未来へのうた〜」のジョン・カーニー監督。
キーラ・ナイトレイの彼氏役、メガネのいい男がはじめ誰かわからなかった。
彼の歌声を聴いて思わず鳥肌が立った。
あー、このメガネの彼はあの人だったの!こんな顔してるのねえ。
やはり彼はうまい。どんな曲調の歌でもちゃんと自分のものにしている。
ニューヨークの街角がそのまま音楽スタジオに早変わり。
車のクラクション、街なかの喧騒、子どものざわめきが楽器になる。
美しい音楽に包まれた、素敵なおとぎ話のようでいて、この映画、現代人の悲喜こもごもの、とくに影の部分がしっかり散りばめられているから甘くなりすぎない。
大人の青春をみずみずしく描いている。
全編にわたって疾走感があり、見終わったあと、心地いい疲労にゆったりと浸れる。